今日は仏教を学んでいた方が聖書と出会って変えられた証を聞きました。そして後半ではその聖書が何を語っているのかを聞きましたので、お分かちしたいと思います。
時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。(マルコ1章15節)
この中の「悔い改めて福音を信じなさい」という言葉、これはイエス・キリストが公の場で初めて語った言葉として記されていて、それだけ重要なメッセージですので、じっくりと考えましょう。
まず、「悔い改める」とはどういうことでしょうか?これは原語ではメタノイアといって、方向転換を意味する言葉です。聖書は自己中心(罪)の生き方から、創造主なる神中心の生き方への方向転換について語っています。
しかし、どうすれば方向転換できるのでしょうか?方向転換するためには目的地と現在地が分かっていないといけません。
しかし、どうすれば方向転換できるのでしょうか?方向転換するためには目的地と現在地が分かっていないといけません。
神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」(創世記3章9節)
これは最初の人アダムが神に背いた後、神がアダムを呼ばれた箇所です。
私たちはどこにいるのでしょうか?私たちはアダムが神に背いて以降、罪人となったのです。
では私たちはどこへ向かうのでしょう?もし、目的地を見失って罪の中に生きていたら、そこには神の裁きがある、と聖書は語ります。
しかし、イエス・キリストは十字架にかかってくださいました。それは、私たちを救うためでした。キリストはむごたらしい十字架の上で神から捨てられ、私たちの罪を完全に負ってくださったのです。ここに罪からの救いがあるのであり、これこそがイエス・キリストが「信じなさい」と言われた「福音」なのです。
しかし、イエス・キリストは十字架にかかってくださいました。それは、私たちを救うためでした。キリストはむごたらしい十字架の上で神から捨てられ、私たちの罪を完全に負ってくださったのです。ここに罪からの救いがあるのであり、これこそがイエス・キリストが「信じなさい」と言われた「福音」なのです。
私たちの現在地は自分中心の罪でしたが、イエス・キリストは罪からの救いのために十字架にかかられました。イエス・キリストはこの救いを受け入れなさいと招いておられます。
みなさんはどこを目的地に定められますか?ぜひイエス・キリストの招きに応え、神の赦しを受け入れる方へと方向転換されますようお勧めいたします。
みなさんはどこを目的地に定められますか?ぜひイエス・キリストの招きに応え、神の赦しを受け入れる方へと方向転換されますようお勧めいたします。