今日のおはなしでは、神様が人間の滅びを望んでおられないということがテーマでした。神様は私たちの滅びではなく、悔い改めて救われることを望んでいてくださる。なんと感謝なことでしょうか。このブログでは、その中にあった「聖書にある3つの死」についてのことをお分かちしたいと思います。
3つの死
さて、3つの死と言われたとき、どのようにイメージされるでしょうか?それらは、①肉体の死、②霊的な死、③永遠の滅び、と紹介されました。ひとつずつご説明します。①肉体の死
肉体の死とは、普段「○○さんが亡くなられた」という時に使う「死」のことです。「死」とは分離を表す言葉だそうです。肉体の死とは、肉体と魂の分離のことですね。これは、イメージしやすいのではないでしょうか。
②霊的な死
さきほどの分離という言葉を使うならば、霊的な死とは、肉体は生きていても、霊が神様と分離している状態ということです。これを、ドローンを例におはなしくださいました。ドローンは機体は動いていても、電波を受信できなければどこに飛んでいくかわからないですよね。機体そのものは生きている、けれども電波を受け取れない、操縦する人と分離してしまう。これが霊的な分離の良い例ですね。
また、ルカの福音書15章には放蕩息子の例えという話があります。ここでは、父親の相続財産を生きているうちにもらい、街に出て放蕩する弟息子が登場します。彼は、お金が無くなりどうしようもなくなった末に、父のもとに帰ることを決意します。帰ってきた息子を父は大喜びで迎えます。その時に父が言った言葉がこれです。
「この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが
見つかったのだから。」(ルカの福音書15章24節)
父にとって街で楽しんでいた息子は、父と離れていて死んでいた、かえって生きた息子は、どれだけボロボロでも生き返ったと言われたのです。これはまさに、私たちと父なる神様との関係そのものですね。私たちが神様と離れていることが霊的な死なのです。見つかったのだから。」(ルカの福音書15章24節)
③永遠の滅び
では、永遠の滅びとは何でしょうか。これは、永遠に神様とはなれるということです。黙示録20章にはいのちの書に名前のない者は永遠の滅び、神様との永遠の分離、が待っているとあります。すなわち、霊的に死んでいる人が、肉体の死を迎えると、永遠の滅びにはいっていしまうということです。しかし、神様ご自身が、私たちを永遠の滅びから救いたい、失いたくないと思ってくださるということは、なんということでしょうか。
今回は「死」のことについて記事を書きましたが、「死」について考えると「いのち」のことを考えることにもつながりますね。永遠の滅びに向かう私たちに永遠のいのちを与えてくださったのが神様の恵みであるとは本当に感謝なことです。肉体の死はいつか訪れるでしょう。どうか早い日に永遠のいのちを受け取ることができますように💗