2017年9月3日日曜日
2017/09/03 福音集会
夏の怪談話のひとつに、番長皿屋敷というお話があります。
大事な皿を一枚割ってしまい、死んだ女が化けて出て、皿を「一枚、二枚...」と数えていきますが、「八枚、九枚...一枚足りない。うらめしや...。」
と言うお話です。
これによく似た話が、実は聖書にも出てきます。
一枚の銀貨を失くした女の話です。
皿屋敷の話と同じように、この女は10枚の銀貨を持っていましたが、最後の一枚を失くしてしまいました。
しかし皿屋敷とは違い、最後には銀貨を見つけ、さらに近所の人たちを呼んで「一緒に喜んでください。」と言って終わります。ハッピーエンドです。
この話は、イエス・キリストが話した例え話です。
なくなった銀貨とはなんでしょう。
それは、私達人間です。
神様にとって、私たちは失われた存在なのです。
どのように神様は失われた私たちを得ることができるのでしょうか。
それは、神の御子イエス・キリストの十字架という犠牲によってです。
そして私たちは自分の罪を認め、自分の思いを神様の前に吐き出し、神様の方に心を向ける必要があります。
その時に、失われた銀貨である私たちは、主人のもとに戻ることができ、主人である神様はそのことを喜んでくださいます。
コリントⅡ5章17節
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、全てが新しくなりました。
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