私は毎日脱いだり着たりをして温度調節していますが、みなさまも体調に気を付けてください💪
さて、今日も聖書からのメッセージを紹介したいと思います📖
出エジプト記に出てくる奴隷の話
出エジプト記の21章には奴隷についてのルールが書かれています。そこでは、へブル人の奴隷は7年目には自由の身で去ることができるとあります。そして、主人が奴隷に妻を与えた場合、7年目に去ることができるのは奴隷だけであり、奴隷の家族は主人のものとなるのでした。
しかし、「私は、私の主人と、私の妻と、私の子どもたちを愛しています。自由の身となって去りたくありません。」と言うなら、主人は奴隷の耳をキリで刺し通し、彼は家族とともにいつまでも主人のもとにいれるのです👪
奴隷は自分自身で痛みを負い、自ら犠牲となることで、愛する家族といつまでもともにいることができるのでした💓
この記事から、家族の愛やつながりが本当に素晴らしいと感じます。また、この記事からはイエス・キリストのことを考えることもできます。
イエス・キリストの犠牲
イエス・キリストは十字架にかかりました。では、なぜ十字架にかかったのでしょう?彼はその生涯で悪いことをするどころか、良いことだけをして生きていかれました。彼に罪を認める者はおらず、神様も「あなたは、わたしの愛する子。わたしは、あなたを喜ぶ。」と言われました。
私たちはみな死にます。それは罪のためだと聖書は語ります。すなわち、私たちはみな罪があるということです😰この罪を解決するすべを私たちは持っていません。それはあまりにも莫大なのです。
「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。」ローマ人への手紙4章25節
私たちはみな死にます。それは罪のためだと聖書は語ります。すなわち、私たちはみな罪があるということです😰この罪を解決するすべを私たちは持っていません。それはあまりにも莫大なのです。
それゆえ、イエス・キリストはこの罪のために、身代わりになって十字架にかかってくださったのです。一点の罪もないお方が、罪の負債をすべて負って払ってくださった。これが十字架の死なのです💓💓
このイエス・キリストにありがとうございますと言って罪の赦しを受け入れるだけでよいということなのです。死への不安も裁きの恐怖も必要ありません。罪の解決は、イエス・キリストがしてくださったというのです❗❗❗
おわりに
先日、私の集会でも家族合同の追悼記念会というものをしました。ともに死について考える機会を持てました。私たちは必ず死にます。イエス・キリストによる赦しはとても感謝なことです。死んだ後に行く先は神様のところと決まっています。どうかこのイエス・キリストのくださった救いを受けられますようにお勧めします。