集会所の前には素晴らしい紫陽花が咲き誇っています。
今日は「十字架の言葉」というお話がありました。
神様はこの世界を創られ、私たちにも命を与えてくださいました。
しかし私たちは自分を生かしてくださっている方から離れ、自分勝手に生きています。
神様から離れると不安になる私たち人間は、神様に代わるものを色々と作り出してきましたが、それらは不完全で不安定なものなので私たちも不安になります。
自分で何とかして幸せになろうとすることを聖書では罪といいますが、その罪をもった私たちのために、神様はイエス様をこの世界に送られ、イエス様は十字架に架かってくださいました。
イエス様が十字架上で語られた言葉は聖書に7つ記録されていますが、今日はそのうち3つが紹介されました。
①「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカの福音書23章34節)
朝9時に十字架に架かれられたイエス様の最初の言葉ですので、イエス様の一番の願いであるということがわかります。
聖書には人々がイエス様を十字架につけたことが描写されていますが、同時に別の観点からはイエス様が自ら進んで十字架に架かられたことが分かります。
神様から離れて自分勝手に生きている私たちの罪を負い、私たちに代わって神様に赦しを求めてくださったのです。
②三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マタイの福音書27章46節)
この日昼の12時から3時まで、全地が暗くなって真っ暗であったことが聖書に書かれています。
人の目から隠されたこの3時間、神様から徹底的に裁かれたイエス様が語られた言葉なのです。
神の子としてではなく、罪そのものとして神様の前に立たれて全ての罰を受けてくださったのです。
③イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。(ヨハネの福音書19章30節)
「完了した」には「支払いが終わった」とか、「領収済みである」という意味があります。
私たちの罪のための支払いはイエス様ご自身が完全に終えてくださっているのです。
イエス様は十字架で死なれましたが、3日目に復活されました。
今イエス様は私たちのそばにいてくださり、私たちに救いを受け入れるよう語ってくださっています。
変わることのない完全なイエス様という土台があると、私たちは周囲の状況によらず、安定した人生を送ることができるのです。
みなさんもぜひイエス様を自分の救い主であると信じ受け入れ、確かな人生を送りませんか?
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