2017年9月10日日曜日

2017/9/10 福音集会

こんにちは!だんだんと涼しい日が多くなり秋が近づいてきましたね。


今日も福音集会で語られたメッセージの一部をご紹介します。

聖書には、神様を信頼する人は死んだあと、神様がおられる世界へ行くことができるということが書かれています。
ではこの世界は神様を信じるための“猶予期間”なのでしょうか。
実はそうではないのです。
神様を信じた人にとってこの世は天国へ行くための待合室となるのではありません。

例えばフライパンについて考えてみましょう。
フライパンはフライパン自身のために存在するのではなく、それを使う人のために存在します。
フライパンの存在の目的はそれを作った人が作る前から決めているのであり、フライパン自身が決めるのではありません。
フライパンを食器として使ったとすると、取っ手が邪魔で、見た目も良くありません。
しかしフライパンをフライパンとして使ったとき、それは存在の目的を果たし、それを作った人がほめたたえられるのです。

私たちも私たちを創られた神様の目的のために存在しているのです。
「主はすべてのものを、ご自分の目的のために造り、…」箴言16章4節

私たちは自分がどう生きるかではなく、神様が私たちをどう生かそうとされているのか、神様が私たちに与えられる計画について知らなければならないのです。

また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」コリント人への手紙第二5章15節

私たちが自分自身のためにではなく、神様のために生きるようになるために、神様はイエス様をささげられました。

私たちは神様の性質に似せて創られました。
神様を愛し、また人を愛するものとして創られたのです。

しかし罪によりそれは崩れ、ねたみや争いや支配という関係が生まれました。

私たちのためにイエス様を犠牲にされたその神様の愛を知り、その愛を受けとることで、私たちは再び神様を愛し、人を愛するものへと変えられていくのです。

しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」コリント人への手紙第二12章9-10節

私たちには弱さがありますが、その弱さを通して神様の素晴らしさがあらわされることがあるのです。
神様は弱さをもったままの私たちを選ばれる方です。
あなたも弱いまま、そのままの状態で神様のもとへ飛び込んでみませんか?





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