2017年7月2日日曜日

2017/7/2 福音集会

今日は「信仰」というテーマでのお話がありました。

信仰とは何でしょうか。
それは神様を信頼することです。
神様を愛することとも言えます。
「信頼する」ということは強い人や大人だけができることなのではなく、むしろ弱く幼い子供の方ができることです。

ローマ人への手紙10章17節にはこう書かれています。
「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」

誰でも神様を信頼することはできますが、自分に語られているものとして聖書を読む必要があります。
そして自分がどんな存在か理解するだけでなく、キリストについて知らなければなりません。

キリストは何をされた方なのでしょう。
聖書にはこうあります。
「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。」コリント人への手紙第一15章3~6節

聖書で以前から予告されていた通りにキリストは死なれ、死んだことが確認されたので葬られ、聖書で予告されていた通りによみがえられ、また現れたことが多くの人に確認されたのです。
キリストの死と復活が明確な事実であるということが分かります。

神様との交わりがあることを聖書では「永遠のいのち」と言いますが、神様との交わりが絶たれた状態は「死」なのです。

神様を神様とせず、代わりにお金や偶像などを神様のポジションに置いている私たちは霊的に死んだ状態の罪人なのです。

「たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない」と詩篇49篇8節にあります。

私たちは自分自身のいのちをかけても自分のいのちを取り戻すことはできません。
自分で自分の罪を処理することはできないのです。

しかし、そんな私たちのため、神様はキリストを罪そのものとして十字架で裁かれました。
私たちの犯した罪を赦すためであり、また罪という原理から私たちを解放するためでもあります。

神様はキリストを信じる者をキリストと一つとして見られます。
キリストが十字架で死んだとき、私たちも共に死に、キリストが復活されたとき、私たちも共に生かされるものとみなされるのです。

あなたも神様を信頼し、神様の言葉に従い、神様の支配を自分のうちに受け入れ、神様によって生かされたものとして歩みませんか。

2017/10/15 福音集会

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